064 稲村ケ崎=鎌倉(神奈川県)剣投ぜし古戦場

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 稲村ケ崎といえば、まず思い浮かぶのは、『稲村ジェーン』でもなければ、ガイドブックに載っているレストランなどでもない。大昔見た絵本の一場面である。それは太平記に題材を取ったもので、荒波の断崖に立つ鎧兜の武将が太刀を掲げている様子が、細密な日本画のようなタッチで描かれていた。

 自動車道や横須賀線が開通する以前は、鎌倉に入るには切り通しと呼ばれる山を開削した七つの峠を越えなければならなかった。そのうちいちばん西側の海よりの切り通しは極楽寺で、そこから海岸までは山で遮られていたわけで、新田義貞の鎌倉攻めの故事も、こうした地理的条件を理解しなければわけがわからないことになる。
 だが、実際にこの稲村ケ崎に立ってその鎌倉側の海に落ちる崖を見ると、どこからどこまで史実かどうかは別にしても、このエピソードが地理的舞台をうまく利用したものであることがわかる。

 海岸沿いを走る134号線がこの岬を切り裂いて分断しているが、その険しい崖を見ていると、太平記の昔にさえも思いをはせることができる。そう思って由比ケ浜や大崎、そして三浦半島を眺めると、また新たな鎌倉を知ることができる。

 西側からは崖は見えないので、ただの小さな岬のようにしか見えないが、こちら側には公園があって、ここから七里ヶ浜、江ノ島へと展望が開ける。
 浜の隅っこに若者が数人固まっている。何をしているのかとよくみると、立ったままで真ん中の台に載せた食べ物をつついている。これは立食バーベキューなのか。どこでもなんでも食べることに抵抗がない世代は、おそらく稲村ケ崎の伝説などとはなんの関係も興味もないのだろう。
関東地方(2006/12/31再訪)

064 稲村ケ崎

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