戦争をとめられる?

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『手塚治虫漫画の原点』展にいってきた。

手塚治虫氏は自らの漫画の中で、自分の体験した戦争を、そして戦争をくりかえしたくないということを語っている。
その訴えかけには、どんな美文より重みがあると感じられた。
このひとは、戦争を体験している。
そして、それを嫌だ、といっているのだ。
体験者のことば。
これ以上、説得力のあるものが、あるだろうか?

たとえば、わたしが同じ訴えかけをしたとして。
それと同等の説得力、影響力が、はたしてあるのだろうか?

わたしには、NO、としか思えない。
わたしは戦争を知らない。
目にした資料、語られた言葉、それをうけとめて。
そうして、戦争がきらいだ、と思っているだけなのだ。
もっと身もふたもない言い方をすれば、戦争なんか起きられたらうっとうしい、と。
その程度でしかない人間の言葉で。
はたして、伝えていけるのだろうか?
戦争の痛み。辛さ。繰り返してはいけないという強い思い。
わたしにはNOとしか思えない。
守っていけるのだろうか、自国内だけとはいえ、戦闘をしていない時間を?


決定を下すのはいつも、痛みを背負わないヒトたちばかり。
痛みを背負う、わたしたちじゃない。
決定を下すのはいつも、痛みを背負わぬ存在の“必要”からで。
わたしたちの痛みではない。

だから、いま戦闘が起きていないのは。
誰かが、守れているからではなくて。
ひょっとしてただ単に、偶然なのではないのか?
条件がそろえば、また、戦争へと突き進むのではないか?
戦争を止める力は少なくとも、わたしにはない。
多くのヒトにもない。

最悪の場合…
武力の行使を止めて、なおかつ罪人としての追求を物理的に逃れるだけの“チカラ”がなければ、戦争は、止められない。
だから。
ホンキで戦争を、繰り返したくないなら。
軍なみのチカラを、国なみの力を、志ある個人がもたなければ、ならないのではないだろうか?
軍や国には、それぞれの“必要”がある。
いざというときには、志よりそちらを優先する。せざるを得ないときもある。
だから戦争を止めるための力を持つのは、志ある個人、もしくはその集まりでなければならない。
そしてかれらは、組織として、精神的にも経済的にも、他の団体から独立していなければならない。
なおかつどこにも屈しないほどの武力を有していなければならない。
可能なのだろうか、そのことが?
志あるものたちがボーダレスに富と技術と知恵を結集するようになれば可能なのかもしれない…

とにかく訴えかけだけではだめだと、わたしは思うのだ。
訴えかけをうけとめることのできるわたしたちには、武力が圧倒的にない。いざというときチカラづくででも武力行使を止めるということが、現状ではできそうにないから。


そのわりに自分は、なにもできない、できていないのが実情ではあるが…
それだけにもどかしいものがある。
わたしには公に世を変えるチカラがない。かといってこの身を捨てて罪を犯して、無理やりに現状をかえることもまた出来ない。これじゃなにもできない。止められない。
キライなもの、実現させたくないもの、止めたいものは、ココロのなかにあるのに。


平和や理想をこの世にほんとうに実現するには、きっとわたしのような「中途半端な理想主義者」の志をもくみ上げてチカラにかえることのできるシステムが必要なのだと思う。
ITは、その突破口になるのではないかとも思っている。
志をチカラに変えるにはどうしたらいいのだろうか?
いいかえるなら…
精神の力を物理的なものやチカラにかえるすべは、存在するのだろうか?
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執筆者るきあさん

投稿日時2007/04/03 20:35:55


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